第0話 すべての始まり【カタルシス・レコード】(著者:弓月 キリ)
「おそらく、別の次元にいるんでしょうね」
巫女装束に身を包んだ、真っ直ぐで長い黒髪で黒い瞳をした女性が呆れたように肩をすくませて言った。
「だろうな。人間界にも魔界にも奴を見つけられなかった」
黒い服に身を包んだ浅黒い肌で黒い長髪の青年が疲れたような少しやつれた顔で答えた。
「まだ生体反応はあるの? カイム」
「神子様、はい。生体反応はまだあります」
カイムと呼ばれた黒い服に浅黒い肌の金髪の少年は何やら銀色の糸のようなものを見て巫女装束の女性に向かって答えた。
銀色の糸は淡く白い光を発している。
巫女装束の女性は神子様と呼ばれているようだ。
「ねぇ。魔王ストラス。あんたならできるの?」
「理論上は」
「なら任せるわ。私は今日のためにこの子を造ったの」
神子を少し幼くしたような少女。
同じ巫女服に身を包んで横たわっていた。
少女は眠っているように見える。
「カイム。それを貸してくれ」
「はい。魔王様」
少年は、魔王と呼ばれた青年に何やら銀色の糸のようなものを手渡した。
淡く白い光は既に消えている。
「この髪を奴の分身と見立てれば、同じ世界に物を送ることはできるだろう。そいつに何か命令でもしてるのか?」
「当たり前でしょ。私の魔力のほとんどを使って、この子を造ったんだから。ちゃんと目的の奴を探して報告しなさいって。生活に困らないようにある程度の知識も与えてあるわ」
「そうか。じゃあ、始めるぞ。その前に、カイム。そいつの髪の毛を1本抜いておくんだ」「わかりました」
少年が少女の髪の毛を1本抜いたあと、魔王から離れる。
それを確認すると、魔王は目を閉じた。
やがて、魔王の周りが緑色に輝き出す。
瞳と髪の色が銀色へと変わる。
魔王は小さく呪文のような言葉を唱えると、少女の姿がぱっと消えた。
魔王の瞳と髪の色も元の黒へと戻る。
「とりあえず送ってはみたが……ちゃんと着いたかどうやってわかるんだ?」
「リンクしているもの。だからすぐに……え?」
神子の顔が青ざめていく。
「どうした?」
「リンクが切れてる……?」
神子の顔は既に蒼白だ。
「そうか。次元の魔法が途中で不安定になってしまったのか……やはり分身体とはいえど、人間一人を送るのは無理があったようだな」
「大丈夫なの?」
不安そうに魔王の顔を見る神子。
「一応、用心のために髪の毛を抜いておいてよかった。カイム」
「はい。生体反応を調べてみます……大丈夫です。生きてます!」
少しほっとしたかのように息を吐く神子。
顔色もさきほどよりは良くなっているようだ。
「なら、大丈夫だろ。奴と同じ世界に着いたんじゃないか?」
「仕方ないわね……さすがに私は魔力を回復しないとあの子を探せないでしょうし……。私は寝るわ」
神子はその場に座り込む。
「え、ここでかよ?」
「神殿は仕女に任せてるもの。寝るならここの方が安全よ」
「母さん、なら、せめて客人部屋行けよ」
「あんた、頼んだ」
「はぁ!? お、おい!?」
神子はその場に倒れこんでしまった。
しばらく後、神子から規則正しい寝息が聞こえてきた。
「寝てしまいましたね」
「仕方ない。運ぶか」
「さすがに私じゃ無理ですしね……」
「俺もお前も大変だな」
「全くです」
(こうなったのはすべて一年前が原因なんですよね……あれからもう一年か……)
一年前。
青い空。
白い雲。
活気があると遠目からでもわかるほどしっかりとした造りで人々が出入りしている城下町。
遠目から見ても小さくないとわかる白い城。
その反対側には、緑色の生い茂る森。
入ったら二度と元の場所に戻れないという恐怖を感じさせるほど、先が見えない。
その森の奥に大きな黒い城がそびえ立っていた。
「よく言われるんだよ」
その大きな黒い城の最上階。窓から城下町を見下ろしながら、黒い服に身を包んだ浅黒い肌で黒い長髪の青年が小さくぼやいた。
「仕事してくださいよ。魔王」
ため息をつきながら、同じく黒い服に浅黒い肌の金髪の少年が抱えていた本を何冊か、目の前の机の上に置いた。
少年は赤い瞳を少しだけ細めて魔王と呼ばれた青年に向ける。彼なりに睨んでいるつもりのようだ。
「まぁ、聞けって。カイム。
『魔界っぽくない!』『魔王っぽくない!』ってよく人間に言われるんだけどさ、
魔界ってなんだ?
魔王ってなんだ?
お前らの絵本で見た知識なんざ、俺は知らない」
「私も知りませんよ……いいから、仕事をしてください」
「今、暇だろ。俺もお前も」
「そうですけど、仕事がゼロになるわけじゃないんですよ」
「たまーに面倒な勘違い人間が侵略しにやってくるのを追い払ったり、
ルールを破った言葉の通じない魔物を抹殺したり、
迷ってきた人間を人間界に返してやったり、
人間界に迷った馬鹿者を回収しに行ったり、
ほんと面倒なんだよ」
「今はどれも起きてないので、早く記録つけちゃってくださいね」
「面倒くさい」
「いいから、やってくださいよ。私じゃわからないんですから」
小さな声で「これだから、もう……」と呟いた少年カイムの声を無視して、魔王と呼ばれた青年は、黒い瞳を細めて、遠くを見て小さくぼやく。
「俺は、こんなことより、もっと魔法の勉強をしていたいんだよ……」
バァンッ!!!!
突然、しっかりとした木製の扉が大きな音と共に開かれた。
「な、何事ですか!?」
「あー……面倒な人が来たか」
ツカツカツカツカ……!
魔王と少年二人だけの部屋にヒールの高い靴の音が響く。
バァン!
机を叩く音が部屋に響く。
机を叩いているのは、巫女装束に身を包んだ、真っ直ぐで長い黒髪で黒い瞳をした女性だった。
年は青年とさほど変わらないように見える。
「面倒な人ってなによ!? ストラス。あんた、母親に向かって何よ、その言い草は!?」
「大きな音を出して扉を開ける母さんを見たら、誰だってそう思うだろ」
しばらくの沈黙が訪れる。
「それはどうでもいいわ。あんた、そろそろ結婚適齢期でしょ。嫁見つけなさいよ」
「どうでもよくないし、またそれか。だから面倒なんだって前々から言ってるだろ」
「あんたねー、早く私を安心させなさいよー。せめて、もうちょっと魔王らしく」
「だから、魔王って、人間界の奴らの常識での話だろ。俺は知らん。面倒だ」
「神子様、お久しぶりです。神子様こそ、それっぽく造った“神の神殿”にいなくていいんですか?」
「あら。あんた、いつも息子の世話、ありがと。大丈夫よ。仕女に任せてるわ」
魔王とカイムは、ジト目で神子を見る。
(仕女も可哀想に……)
(少なくとも俺はちゃんと自分の仕事やってるしな。母さんよりマシだ)
「あんたたち、何よ、その目」
「いいから、母さん。もう帰れよ」
「えー……だって、暇なんだもの」
「俺たちの邪魔すんなよ」
(結局、母さんは暇つぶししたかっただけか……)
「やぁ。今日も賑やかだね」
「あ。アモンさん。昨日ぶりですね」
「そうだね。今日も忙しそうだね?」
「そうでもないですけどね」
銀色の長髪をかきあげて、青い瞳をカイムに向けた。
彼が着ている紫色の服は魔王城にいるメンバーより目立っていた。
「それにしても、魔王様は相変わらず野心がないようだ」
「平和でいいですけどね」
「私はごめんだな。神子様の手前、言いにくいが、馬鹿な人間共と平和的に過ごしたいとは思えない」
「あんた、はっきり言ってるじゃない」
神子がジト目でアモンを見る。
「ああ、これは失礼。魔王様、今日も勉強させてもらってもいいかな?」
「好きにしたらいい」
「どうも」
アモンは、魔王の机のそばにある本棚を見ていくつか本を取り出しては読み始めた。
「帰るわ」
興がそがれたのか、神子は扉に向かって歩き始める。
「お。帰るのか。気をつけろよ」
その言葉に神子は足を止め、振り返り際、ジト目で息子である魔王に呆れたように叱った。
「あんた、私を誰だと思ってるのよ。大丈夫に決まってるじゃない」
「それもそうだった」
苦笑いを浮かべる魔王。
「あんた、早く嫁見つけるか、もうちょっとしっかり仕事するかしなさいよね」
「面倒だ。帰れ」
魔王は「シッシッ」と小さく声を出しながら、手で追い払う仕草をする。
「仕方ないわね」と小さく呆れたように呟いて神子が部屋を出る直前、アモンの方に向き直った。
「アモンだっけ? あんた、ちょっと答えなさい」
「神子様、私に何か?」
「あんた……その本、どこで手に入れたの?」
神子は、アモンが持っていた本の一冊を指差した。
「この本ですか?」
「そうよ。私と息子しか知らない上に、それはわからないように魔法で隠していたのだけれど?」
「ああ、だからですか……見つけるのに苦労したんですよ」
アモンは肩をすくめて苦笑いを浮かべた。
「私、ましてや息子がそれを不用心に取り出すとは思えない。あんた、一体その本は何の本なのか知ってるの?」
「ええ、知ってますよ。先代魔王様の側近だったダンリオン様が封じられている本ですよね」
「知ってるなら、なおのこと……その本、返しなさい」
神子の周りが白く輝き出す。
瞳と髪の色が金色へと変わる。
「断ります。私は、そこの腑抜けな魔王よりもダンリオン様に仕えたいので」
「私の息子を馬鹿にするとはいい度胸ね……!」
「まぁ、事実だしな」
「ストラス! あんたもちょっとは怒るとかしたらどうなの!?」
「俺が馬鹿にされる分には構わないが……親父と母さんが封印したその本はお前に扱える代物じゃないんだ。返してもらうぞ」
魔王の周りが緑色に輝き出す。
瞳と髪の色が銀色へと変わる。
「やってみなければわからないでしょう!?」
聞き取れない小さな声で何やら呪文のような言葉を唱える。
アモンの周りが紫色に光り輝き、本も黒い光を出し始めるが、それだけだった。
「私の魔力では……足りないというのか……」
「さぁ、わかったなら、返してもらうぞ!」
緑色の球体のような光がいくつもアモンに向かって放たれた!
「ここは引きましょう。いつかまた」
アモンが消える。
アモンがいた場所に球体の光がぶつかって消滅した。
「クソ……逃げられた」
魔王も神子もいつもの髪と瞳の色に戻った。
「急に消えたわよ!?」
「次元の魔法だ。あいつ、結構厄介な魔法を唱えやがったな」
「どこに行ったか、気配が読めないわ」
「だろうな」
「あんたはわかるの?」
「俺もわからん。
次元の魔法は、
この世界か、
別の世界か、
もしくは次元の狭間につぶされてしまうか、
魔法を唱えた術者ですらわからないことのほうが多いんだ」
「なによ、それ。そんな魔法があるというの?」
「扱いが難しい魔法だが、ちゃんと存在している。俺は一応使えるが、さすがに使った術者を追うことはできん」
「困ったわね……」
「あ、あの!」
「どうした? カイム」
「これはアモンさんの髪の毛です。これに探索魔法をかけたところ、少なくとも生体反応はありました」
「なら、生きてるってことか」
「この世界の端……私達ですら感知できないほど遠くにいるか、もしくは」
「別世界のどちらかだろうな」
「まずは、帰るわ。人間界を探してくる」
「俺は魔界を探す」
「あとで使い魔を寄越してちょうだい。また、情報を交換しましょう」
「わかった」
神子はその場からすぐに消えた。
カイムは驚き、戸惑っていた。
「次元魔法じゃないよ。ただの転移魔法だ。神の神殿に戻っただけさ」
「アモンさんと同じじゃないかとびっくりしました」
「母さんは次元魔法使えないよ。親父も使えない」
「え、じゃあ、魔王様はなんで……?」
「俺は魔法オタクだからな」
(膨大な魔力のおかげもあるんでしょうね……)
この世界では、“世界で一番魔力の強い魔者”が魔王と呼ばれることになる。
対して“世界で一番魔力が強い人間”を神子と呼んでいる。
(この野心の欠片もない平和主義者で魔法オタクな魔王様に仕え、共に魔王のお母様である神子様に振り回されながらも楽しい日々を過ごしていたのになぁ……)
しばらく、平和はおあずけのようだ。
作:弓月 キリ